【解説】昭和の東南海地震から78年経過  南海トラフでおきる地震は『週刊地震ニュース』
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12月7日は1944年に「昭和の東南海地震」がおきた日から78年です。この時は2年後にほぼ同じ規模の「昭和の南海地震」も発生しました。繰り返しおきる南海トラフ沿いの地震、2つの大地震が約32時間間隔でおきたことも。社会部災害担当・中濱弘道デスクが解説します。【週刊地震ニュース】

■石川能登半島や長崎で震度3 先週は震度1以上の地震が37回
12月5日から11日までのこの期間、国内では震度1以上の地震が37回発生しました。このうち震度3以上の地震は5回でした。

▼8日午後10時30分頃、鹿児島市や鹿屋市、指宿市などで震度3の揺れを観測する地震がありました。震源地は鹿児島湾、マグニチュードは4.1、震源の深さは9キロでした。

▼9日午前5時58分頃、石川県珠洲市で震度3の地震がありました。震源は石川県能登地方でマグニチュードは4.1、震源の深さは12キロ。石川の能登地方で2年にわたって続く群発地震活動ですが、気象庁は先週の会見で群発地震の活動領域がこれまでよりも広がっている可能性もあるという見解を示していますので、引き続き注意が必要です。

▼11日午前6時40分頃、栃木県南部を震源とする地震があり、日光市で震度3の揺れとなりました。地震の規模を示すマグニチュードは3.1、震源の深さは10キロでした。

▼11日午後6時46分頃、福島県沖を震源とするマグニチュード4.7の地震があり、白河市などで震度3の揺れとなっています

■長崎で震度3、震源の橘湾とは? 普賢岳のマグマだまりも
▼5日午前10時14分頃、長崎市で震度3の揺れを観測する地震がありました。震源は橘湾、マグニチュードは3.4、震源の深さは14キロでした。

橘湾は島原半島の西側、長崎半島との間にあります。地下には雲仙普賢岳のマグマの供給源となるマグマだまりがあるとされています。

1991年におきた普賢岳の噴火直前には、この橘湾で地震が相次ぎ、震源が次第に雲仙普賢岳のある島原半島に近づいてきたということもありました。ただ現在は雲仙普賢岳の火山活動は非常に低調です。すぐに火山活動に結びつくわけではありません。

■「2年間隔で発生」昭和の南海トラフ地震
12月7日は、1944年におきた「昭和の東南海地震」から78年です。太平洋戦争中ということもあり、当時は被害などの詳細が報じられることはありませんでした。しかし、マグニチュード8.2の巨大地震でした。

地震直後に三重や愛知、静岡などに大津波が押し寄せ、大きな被害が出たという記録があります。ただ地震はこれだけで終わりませんでした。2年後の1946年12月21日には紀伊半島の南側で「昭和の南海地震」と呼ばれるマグニチュード8.4の地震がおきて大きな被害が出ています。

■静岡沖から宮崎沖に伸びる南海トラフ
南海トラフは静岡県の駿河湾から九州東側の日向灘にかけてのびるプレート境界で、今後30年以内の地震の発生確率は70%から80%とされています。最大規模の地震が起きた場合には太平洋沿岸に大津波が押し寄せ、名古屋や大阪などの大都市でも激しい揺れとなる見込みです。

■南海トラフでおきる地震のタイプは多様
南海トラフ沿いでは大きな地震が100年から150年の周期で繰り返しおきています。

昭和時代の1944年の「昭和東南海地震」では2年後に西側の領域で「昭和南海地震(1946年)」が発生。1854年、江戸時代後期の安政におきた地震では「安政東海地震」からおよそ32時間後に「安政南海地震」が続けて起こりました。一方、1707年の「宝永地震」は東西の領域を一度に破壊する巨大地震でした。

南海トラフの震源想定域では前回の地震からすでに80年近く経過しています。南海トラフ地震の被害が想定される地域では、自治体などによって津波避難タワーの整備など対策が進められていますが、私たち自身でも揺れへの備え、そして津波からの避難の方法など改めて考えるきっかけにしてほしいと思います。
(2022年12月12日放送)

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